「荻窪Bar」は、設計者の田代さんの父親が、学習塾を営む傍ら、キャンプ用のテーブルと椅子を並べて始めた小さなBar。簡素なつくりながら、豊富で手頃なメニューと、気さくなマスターの人柄に惹かれて、地域の人が気軽に立ち寄る場として、老若男女さまざまな方に親しまれてきました。
10周年の節目を迎え、今回、エントランスを新しくすることに。
「一気に全てを変えてしまうと、常連さんの居心地が悪くなってしまうかもしれないし、大掛かりな工事をしたら、毎日通う常連さんに迷惑がかかるから」そんな配慮から、フルリノベではなく、まずは“扉一枚”に空間の新しい可能性を託すことになりました。
扉の色は、夜が主役となるBarにふさわしい青色に決定。薄暗い店先でもしっかり映え、昼間の自然光では鮮やかに、夜の街灯の下では落ち着いて佇む。そんな理想的な「青」を求めて、何度もスタディを重ねた結果、たどり着いたのは既成の青色塗料でした。
「特注色も考えましたが、既製色はメーカーが長い時間をかけて作り上げただけあって、バランスが絶妙。昼も夜も美しく調和がとれていることに気づいたんです」と田代さん。
青い扉にはいくつもの小窓が配されています。
それはお店に立ったときの経験から。「今日は誰が来ているかな、と中の様子を確かめてからひょっこり顔を出すお客さんを見ると、ほっとするんですよね」
大きく開かなくとも、小さな窓越しにお互いの存在を気に掛け合う。そんなささやかなやり取りが、このBARの心地よさをつくっています。
小窓には、日本・アメリカ・フランス・ドイツなど各国から集めた10種類のガラスをセレクト。高さや大きさもランダムに配置し、夕暮れから夜にかけて、光の移り変わりによって、一枚一枚のガラスの個性がそっと浮かび上がります。
全面透明にせず、あえて曇りガラスを使ったのもこだわりのひとつ。中の様子がぼんやりと見えることで程よい距離感が生まれ、落ち着いた空気を保ちながら、光が差し込むたびに柔らかく表情を変える空間になっています。
人の動きによる立体的な変化を取り入れるため、FIX窓の中に押し出し窓と引き違い窓を組み込んでいます。
選ばれたのは、toolboxの『木製室内窓』。既製品の枠をベースにガラスを取り替え、現場でガラスのゆがみに合わせて職人が微調整を重ねながら丁寧に仕上げたのだそう。既製品と現場の技術が掛け合わさり、世界に一つだけのオリジナル窓が生まれました。
さらに、扉には折りたたみ式のベンチも内蔵。開け閉めできるベンチは、通りがかりの子どもが遊んだり、夕涼みしながらお酒を楽しんだり、満席時の待合としても活躍。
扉自体が、触れたり座ったり、のぞいたりする人々の行動に合わせて自然に表情を変えていきます。設計の段階では想定していなかった意外な使われ方に、田代さん自身も驚いたそうです。
この小さな青い扉は、単なる装飾ではなく、街と人をつなぐ“仕掛け”。
通りがかった人の心をそっとくすぐり、覗いてみたくさせる。座る、話すといった小さな行動から、思わぬ交流や体験が自然と生まれています。
現在は2階にあった塾を縮小し、お父様はBarに専念。
かつての塾スペースは田代さんの事務所として活用され、教材はそのままに、半分「学習クラブ」としていつでも使える状態にしているのだそう。
第一期工事を終えたばかりですが、この建物はまだまだ進化の途中。第二期、第三期…と時間をかけて少しづつ段階的に改修していく、そんな構想が描かれています。
段階的に改修を進めるのは、工事による休業を避けると同時に、“つくる楽しみ”をBarを訪れるお客さまと共有するため。まずはカウンターの小さな改修から始め、将来的には大きな改修も視野に入れているそうです。
訪れる人と“つくる楽しみ”を分かち合いながら、少しずつ変化していくのも、このBarの魅力。
名前で呼び合う常連さんや、初めて訪れるお客さま同士の交流――小さな青い扉を通じて、人と人の距離が自然に近づく、まるで街の中の小さなパブリックスペースのような「荻窪Bar」。街の人々に愛される居場所として、今日もまた、いつもの常連さんたちで賑わっていることでしょう。
Ateliers Mumu Tashiro/田代夢々
1995年東京都生まれ。