築40年超え、広さ86㎡のマンション。酒井さんご夫婦と中学生の次男、3人が暮らしています。
建築を学んでいた酒井さんと、グラフィックデザインを専攻していた奥様。同じ美大でデザインやものづくりに関わってきたお二人は「ずっと理想の空間づくりがしてみたかった」と、家づくりへの思いを強く抱いていました。
その理想を実現したのは長男が一人暮らしで家を出る、いわば家族の成熟期に差し掛かるタイミングでした。
インテリアなんて構ってられない?「いつか」を見据えた賃貸時代
リビングに足を踏み入れた瞬間に感じる、居心地の良さ。
壁にかけられた陶板やアート、絶妙な距離を保って配置された家具や照明たち。置かれている全てのものが、ここにあるべくして収まっているような、とても大切にされている印象を受けます。
ここまで完璧に整えられた空間を見ると、なんとなく自分とは別の世界で「最初から完成形だったんじゃないのか」と思ってしまいますが、以前の暮らしはそうではなかったと酒井さん夫婦は振り返ります。
「子どもが小さいと、理想の空間の維持って難しいじゃないですか。子どものもので溢れるし、壁には絵を描くし、めっちゃ散らかる。常に壊滅状態で、インテリアなんて構ってられない、みたいな感じでした(笑)」
自分で家具をつくってみたり、色々工夫もしてみたものの「もう、子供のエネルギーの前では無力」と、お手上げ状態。
「小学校中学年くらいになると、壁に落書きしちゃいけないんだなって、物事の分別がつくようになった。おもちゃの片付けとかもできるようになる。上の子がやっと分別つくようになったぞと思ったら、今度は下の子。これはもう、子どもがある程度大きくなるまでは仕方がない、こだわらないと割り切って暮らしていましたね」
大学を出てすぐ結婚、長男が生まれてから20年以上、賃貸暮らしをしていた酒井さんご夫婦。ただ毎日の暮らしを送るのではなく、来るべきいつかの家づくりを見据えてある行動を続けていました。
「家が散らかる時の法則とか、ずっと観察してました。こういうものがここに散らかるんだな、こういう時に散らかるんだなって。家族の生活習慣や動線、ものの出し入れ頻度なんかを見ながら『こういものは、こうしまえるといいな』というのを、ずっとイメージしていたんです」
「こだわらない」と割り切った暮らしでも、酒井さんにとってはデータ収集期間というのがなんともユニーク。家族にとって理想的な動線や収納のあり方は家づくりの中で重視したもののひとつです。
その要となるのがキッチン横のクローゼット。
服の収納だけでなく、保存しておきたい雑誌、そしてネットで注文した炭酸水やお米のストック類も箱ごと保管。パントリーとしての役割も果たす「なんでも納戸」です。
「全てのものに、決まった居場所があるという状態にしたかった。私たちは、あんまり新しいものをどんどん買うタイプじゃない。自分のルーティンがあってそれを守る性格なので、それに則って計画すれば、空間が乱れないなって。
結果はちゃんと出ていると思います。暮らしやすかった」
「いつかは家づくりを」と思いながらも、家族の成長期ではお金の見通しも立てにくかったり、そもそもずっとこの場所に住むかは分からないなど、様々な事情で見送る方も多いと思います。
そんな仮住まい的な暮らしの中にこそ、家族にとっての最適解を生み出すヒントは潜んでいます。今回の酒井さんのプランニングは、長い時間をかけてお互いの理解を進めてきた今だからこそ、でき上がった形なのかもしれません。
主導権は「一番長く家の中で過ごす人」に
「この家に一番惹かれたのは86平米という広さでした。だからできるだけ、のびのび気持ちよく過ごせる空間にしたいと思ったんですよね」
「妻はほとんど家にいるから、ずっと家にいても心地がいい空間にしたいなと。彼女、あんまり家から出ないから」
「全然出ないんです(笑)出かけるのがあまり得意なタイプではない」と、奥様。
内装の雰囲気は、この家で一番長い時間を過ごす奥様をクライアントとして立て、組み立てていったそう。
「自分の好みは、自宅とは別にある事務所のリノベーションで反映できていて、満たされていたというのもあったかもしれません。全部僕の好みでやると、全部ラワンで仕上げちゃったりとかしちゃう。でも家の方はもうちょっと柔らかい感じにしたいなと」
天井には『ウッドシーリング』のオークを広い面で取り入れました。
床には『ラスオークフローリング』と、同じオークをセレクトしています。こちらは幅広のタイプを選択することで、空間の広がりを活かしています。
「木を多く取り入れることで、あったかい感じにしつつ、できるだけ抜けがある感じにしようと考えました」
というのも、この物件はマンションの1階部分。最初に見学した時は、冬だったこともあり奥様は「暗くてひんやりしている」という印象を受けたそう。内装材や家具、植物たちの配置によって、その印象は見事に払拭されています。
LDKの配置は既存からほぼ変更はしていませんが、唯一ダイニングの仕切り壁を伸ばして、裏にワークスペースをつくりました。
その横には趣味のレコードやアートのコレクションを飾る造作棚が。この場所はダイニングで過ごす中での背景にもなる場所です。
「ここは、置くレコードを気分で変えて楽しんでいます。グラフィックが好きなので、気分で変えられる場所が欲しかった。壁にかけている写真や絵は常設展で、ここは企画展として楽しんでます」
飾るもので家の中の雰囲気を変えていく楽しみにもなっているんですね。
もう一箇所、居心地のよさを求めた場所が寝室です。
元々収納付きの個室が2部屋に分かれた間取りだったのを、大きな寝室とウォークインクローゼットに分けました。
寝室も天井には「ウッドシーリング」を採用しました。
「コストの面で、寝室も板張りにするか悩んだんです。でも、結果貼って良かった。寝転がると視界に入るのが天井だから」
足元は『ウールカーペット』、ヘッドボードにはミナペルホネンのファブリックを使い、リビングとは異なるくつろぎを生み出しました。
ものづくりに携わってきたお二人は、インテリアや家づくりにもそれぞれに温めてきた理想やこだわりがあるはず……。一体どうやって優先順位を付けていったのだろう?と思っていましたが「家で過ごす時間の長い人が心地よくいられること」という答えは、この上なくシンプルで腑に落ちました。
「その方が丸く収まるから」と酒井さんはおっしゃっていましたが、家族への愛ある設計のように感じてしまいます。
持ち家=一生モノ?住宅ローンの呪縛を解く
ここまでのお話しを聞くと、時間をかけて計画し、迷いなく理想を実現したかのように思いますが、実は酒井さん、今回が2度目のリノベーション。
長男が家を出て一人暮らしを始め、次男が小学校中学年に進学した2020年。「やっとこの時がきた!」と踏み切ったのが、初めての家づくりでした。
長年温めた理想を叶えた空間は、ご夫婦ともにとても気に入ったそうですが、わずか4年の間に売却を決断します。
「急に、住宅ローンに縛られるのが嫌になって。やっぱり賃貸生活に戻りたい!ってなってしまったんですよね、僕が」
リノベーションしたその家を売却、また賃貸生活に戻ってみると、今度はまた違った心情に。
「買って売ってみてというのをやったら『買ったら一生もの』みたいな重責から解き放たれたんです。家を買うということへの心理的ハードルが、一回、買う・売るを経験してみたらなくなって、すごく気持ちが楽になって。そうしたら、やっぱり自分たちが気に入る空間に住みたいから、買ってリノベしたいなとなって」
なんという急展開!
前の家の売却から半年も経たないうちに「家を買いたい」と仲介会社を再訪問。「え?売りましたよね?もう持ち家はいいみたいなこと言ってましたよね?」という顔をされましたと酒井さんは笑いながら振り返ります。
「ただ流石に、売却を自分のわがままでやった手前、よほどのいい物件じゃないと買わない!って思っていたんです。そしたら、この家が出てきた」
賃貸で好みの物件に住み替えたり、ホテルに滞在してみたりと、色々な空間に身を置いて間取りや内装など「理想の家」を思い描くことはできても、「家を買ったり手放したり」を気軽にトライすることは中々できないこと。その状況に置かれた時の自分の心情をイメージすることも難しいもの。
「一連の流れを身をもって経験したことですごく勉強になった」と酒井さん。相当なエネルギーが必要な家づくりに、また気持ちが戻ってきたことからも「自分の空間」に対する思いの強さが伺えます。
自分たち仕様を貫いた造作家具は、手放さずに引き継いで
2回の家づくりと短期間での住み替えの中でも、以前の住まいで使われていた家具たちを手放すことはせず、今の暮らしにもしっかりと引き継がれています。
「このカップボードは、以前の家では、リビングとキッチンの間の仕切りとして使っていたものです。とても活躍していたので、無くすのも勿体無いなと思って」
この壁を抜いて、LDK側から使える収納にするプランも候補にはあったそうですが、そうするとこのカップボードを置ける壁がなくなってしまうと、手持ちの家具ありきでプランを考えていきました。
「キッチンのカウンターを伸ばすことも考えたけど、カップボードがリビング側から見えるようにしたいなと思っていたので、キッチンの腰壁は元のままです」
元々リフォームがされていたこちらの物件。キッチン本体やレンジフードなど、使える設備は積極的に活用しつつ、見える部分を好みの質感に整えることでイメージを刷新しました。
「僕、サイズにはこだわりが強いんです」と語る酒井さん。これだけしまう物の定位置が考えられ、使い慣れた収納家具は手放す必要もないですね。引越しの度に、収納家具を買い替えて、使い方に頭を悩ませていた私にとって目から鱗の考え方でした。
ダイニング奥にある窓辺に置かれた、バイオエタノール暖炉。こちらも以前の家から引き継いで愛用しているものです。
室内には、以前の住まいで使っていたものだけでなく、今回新たに造作した家具も。これだけ色味や素材をミックスしながらも、空間全体で見ると不思議とまとまった印象があります。
「内装のイメージは、広い面から固めていきました。フローリングと天井と壁、その後に、それらに合う大きな家具を考えて、そのあとで建具、小さな家具やアートという順番です」
家づくりの際に、ついつい家具とは切り離して内装を考えてしまう。なんだったら家具は入居後最後に選んだりすることも多い中、その隔たりをつくらず「面積が大きいもの」「部屋の印象を大きく左右するもの」から決めていくというのが酒井さんの組み立て方。
ドアの色味もそのルールに則り、床・天井とソファを決めてから考えました。
「ドアも、toolboxで探す中で『クラシックパネルドア』を選びました。
アクセントになる存在にしようと思ったんですが、あんまり強い色にしちゃうと主張しちゃうので、スモークアッシュの色味がちょうど良かったです。この色がもうちょっと濃かったら、ダイニングテーブルとのバランスとかも変わってきたかもしれません」
手前に見えるカリモクニュースタンダードのスツールは、ドアの色味が決まってから選んだもの。最初にグレーを選んだところ、まとまり過ぎてしまい、最近モスグリーンのスツールを追加したんだそう。
「ドアの色もそうですが、toolboxのアイテムは『私たちはAを推します!』っていうふうに、提案してくれる。その感じが乗っかりやすい。
その上で、A-1・A-2・A-3みたいな提案のバリエーションがあって、編集権限はちゃんとこちらに持たせてくれる。選択肢に悩める楽しさがあるのがよかったですね」
自分で経験しなければ暮らしはつくれない
「今回の家づくりでは、打ち合わせをする中でやりたいことが広がって行って。だから変える部分と活かす部分のメリハリをつけることは大切でした」
最初に予算の上限を決めて、どこにお金をかけるか、どこまでが許容できるのかを判断していった酒井さん。
今回の家づくりで手を入れたのは主にLDKと寝室。玄関からの廊下、水回りと次男の個室はほぼ手を入れず既存のまま残しました。
今後、次男が独立したタイミングで、奥様のアトリエをつくるなど、アフターリフォームをすることも視野に入れているそう。
「次男には『ここはいつかお母さんのアトリエになるから独立してね』って圧をかけています(笑)。あなただけの部屋じゃないからねって」
東京に実家があると、親の働きかけがなければ中々家を出ていくきっかけはなさそうですもんね。と話す中で、こんな言葉が返ってきました。
「うちは出ていってというケースですね。一人暮らしをしてみた方がいい。自分の暮らしを自分でつくってみる、という経験をした方がいい。じゃないと、どんどん暮らしに疎くなっちゃうから」
「暮らしをつくっていくのは他の誰でもない、自分たち」。家を買うのも、つくるのも何が正解なのかは、自分たちで実践してみないと分からない。長い時間をかけて理想の空間をつくりあげた酒井さんの想いが現れた言葉でした。
株式会社アングロ | ANGULO
toolboxの初期から活動を共にしてくれているオーダー家具屋、石岡鉄平さん。
デザイン性の優れた家具製作のみならず、現場での施工や空間デザインも手掛けています。
家具の郵送対応の場合は、全国ご相談可能です。